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穴井文彦:ライフ×ワーク

Vol.8 名女優が教えてくれた仕事の真髄

(c)2014 STONE ANGELS SAS
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仕事で重要なのは組織(あるいはチーム)の中の役割をきっちり演じることだと思っている。新人は新人らしく、管理職は管理職らしく、営業は営業らしく演じることがいい仕事をする起点だと思っている。最近は「自分らしさ」が大切みたいなことをよく耳にするが、そんなもの仕事に持ち込むなよと私は言いたい。古臭いのかもしれないが、仕事のできる人というのは、自分を抑えて、役に徹する人だと思う。
私は映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」から役割に徹することの大切さを改めて教えられた。「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」は一見ビジネスとは無縁の映画のように見えるが、プロとはなにかを考えさせる映画でもあった。

○働く女の映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」
この映画は、女優グレース・ケリーがモナコ公国のレーニエ3世と結婚して6年経ったところから始まる。
華やかな雰囲気とは裏腹にロイヤルファミリーの生活は男性優位の旧態依然としたもの。グレースのアメリカナイズされた行動や発言は公妃としての立場を逸脱してしまうことが多く、夫との口論が絶えない。結局、自分は夫の添え物に過ぎないと思い知らされるのだ。
そんな時に旧知の映画監督ヒッチコックが魅力的な映画のシナリオをもって現れる。ハリウッド復活の期待を胸に、彼女は演技の練習を始める。これこそが私の仕事だと実感するのだが、映画出演は夫の一存であっさりキャンセルされてしまう。
グレースは大いに落胆するが、フランスとの関係悪化によりモナコ公国に危機が訪れた時、彼女は王妃にしかできない奇策を思いつく。それは、各国の首脳を招く晩さん会を開いて「おもてなし」をすることだ。

○女優としての意地
フランスとモナコは互いの利権を主張しあい、一触即発の状態になっている。しかし、両国の首脳たちも戦争や実力の行使を望んでいるわけではない。振り上げたこぶしを下ろすきっかけさえあれば、譲歩しあうこともできそうだ。そのきっかけが晩さん会だ。
これ機に彼女の行動は大きく変化する。フランス語(モナコの公用語)を練習し、モナコの歴史を学び、王妃として振舞い方を身につける。フランスとの国境に現れ、フランス側の国境警備隊に手作りのお菓子を手渡し、わざとその姿をテレビ放映させる。あるいはパリの高級店で買い物をしてフランス語でインタビューに答える。そうしてフランスでの好感度をアップさせ、さらに世界の耳目をこの紛争に集めさせた。
晩さん会の最後に彼女は一世一代のスピーチを行う。これに感銘を受けたフランスのド・ゴール大統領はモナコの支配をあきらめる。グレースはモナコ公妃を見事に演じ切ることで、モナコの危機を救ったのだ。
彼女はアメリカ生まれの女優だ。芯からヨーロッパの公妃にはなれない。しかし、公妃としてではなく、女優として公妃を演じていたからこそ、動じることなく堂々とスピーチできたのではないかと思う。これがこの映画の主題であり、私が感銘を受けた部分だ。

○「たかが映画」という想い
劇中でグレースは、映画出演を拒否した夫にこうして言う。「たかが映画じゃない」。
「たかが映画じゃないか」はヒッチコックの名言としてよく知られている。人によってはひどい言い方だと思うかもしれないが、「たかが映画」「たかが仕事」という距離感が心にゆとりをもたらせ、強力なパフォーマンスを発揮できるのだ。

ハリウッドのトップスターからモナコ公妃になった美女中の美女グレース・ケリーを二コール・キッドマンが演じた。しかし、これはクレオパトラやマリー・アントワネットを演じるのとは訳が違う。クレオパトラなんて実物を知る人などいないが、グレース・ケリーはビデオでいつでもその美しさを確認できる。それをあえて演じた二コールの自信がすごいと思った。まるで自分の美しさでグレース・ケリーのイメージを上書きしようとしたかのようだ。そのくらい気合が入っているのが窺えるし、グレース・ケリーを演じることを楽しんでいるように見える。二コールはニュージーランド出身で、初期の頃はセクシーさで売っていた女優だ。その頃からのファンだが、彼女のフィルモグラフィーは素晴らしく、その成長の過程を見ると、ただものでないことがうかがえる。そういう意味でも「たかが映画」だけど、私にとっては十分に興味深い映画でした。
いやあ、映画ってほんとうにおもしろいですね。

2014/11/29

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